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「金融ビジネスの世界では肉食動物か、肉食の仮面をかぶった草食動物しか生きていけない」第4回インタビュー(4/6)

英語で夢を叶える

2018.10.26

アメリカから帰り、
停滞する日本で悶々とした日々。

アメリカから戻った1994年の日本は、経済が停滞し始め就職氷河期に入りつつある時期でしたが、まだどこか世の中はのん気でした。
私はそんな中、帰国後の仕事として発展途上国への金融教育、おもにロシアと中国を担当することになりました。
当時、ゴルバチョフ、エリツィン大統領の時代で、西側との融合が活発になり、日本にも国としてロシアを支援する動きが出てきましたので、私がロシアに派遣され、現地の方への財務研修を担当したのです。銀行で経験したことと、ハーバードで学んだことを融合させたカリキュラムを作り、それを現地でロシア語に訳してくださったのが、今は亡くなられた、通訳で作家の米原万里子さんでした。
佐伯先生04Moscowその後、1996年には、今度は世界銀行と協力して、中国の金融を近代化するというプロジェクトにあたりました。今やめざましい発展を遂げた中国ですが、当時はまだ日本が教えることがあった時代ですね。
他にも東南アジアの国々で教えたりしましたが、金融教育の仕事は、自分の経験、知識をもとに教えるだけだったので、自分の銀行員としてのキャパシティは広がっていないことに不安を感じ始めていました。

手堅い政府系銀行から、
「食うか食われるか」の投資の世界へ。

佐伯先生04hawksそして1998年、北海道拓殖銀行や日本債券信用銀行が相次いで倒産し日本の銀行への信頼が揺らいでいた頃、日本の銀行を正確に分析する人材を求めていた米系の投資顧問会社に誘われ、私は銀行アナリストとして転職しました。
政府系金融機関には育ててくれた恩義を今でも強く感じますし、本当に人にも仕事にも恵まれたいい環境でした。
しかし当時、父親が末期がんを患っていることがわかり、彼が経営していた会社の処理作業などもあって、本業に集中できなくなっていました。そのような折に声を掛けられ、直感的に転職してしまったんです。
あとでお話ししますが、実はこの直感が、私の命を救うことになります。
佐伯先生04building
競争意識が薄い政府系の銀行から、日系の民間企業ですらなく、いきなり外資系金融への転職というのは大きなギャップがありました。職種としても、もとの融資の仕事は、リスクがないか堅く堅く審査するものでしたが、そこから、リスクを取ってでも利益を上げに行く投資の世界への転身です。実はそれまで、自分で株式投資をやったことすらありませんでした。
佐伯先生04graph
ですが、思い切って投資顧問会社に飛び込んだのは、ハーバード時代に学んだ<コーポレートガバナンス(企業統治)>が日本に必要になると感じたからです。企業に対して株主の立場で影響力をもつ投資顧問会社に転職し、その担い手となれたのはその意味で本望でした。株主は、もっと企業に発言し育てていくべきだし、企業も株主に目を向けるべきだという考えに共感したのです。

「お前は草食動物だろう。
でも、ここでは肉食の仮面をかぶれ」

このように納得して移った米国投資会社でしたが、大方の人がイメージする通り、そこはまさに、食うか食われるかの「肉食動物」の世界でした。ただ真面目にやっているだけではとても勝ち残れません。
入社してまもなく、日本人の先輩社員から言われた一言が印象的でした。

「君は草食動物だろう。でもここは肉食が跋扈(ばっこ)する世界だから、嘘でもいいから肉食動物の仮面をかぶるんだ。俺もそうなんだよ」
佐伯先生04horse当時まだ草食男子という言葉がなかったころ、自分は草食系であると自覚させられる場面でした。
その先輩は、その後しばらくして、本来の彼の性質に合う奉仕活動の世界へと移っていきました。

 

>>次回 第5回「社会の変革を目指すエリートと、自分の立場を守るエリート」(5/6)

 

 


早稲田大学ESA(英語部)部長として、全日本学生英語弁論大会(J.U.E.L CUP)で優勝。
政府系金融機関勤務時にハーバード大学経営大学院MBAを取得し、ロシア他、諸外国で財務研修を担当。その後、米系投資顧問会社にて金融アナリスト、ファンドマネージャーとして活躍のかたわら、1997年から国内大手ビジネススクールのファイナンスクラスを担当。2010年より小・中・高校生を対象とした「吉祥寺英語教室」を開設、今に至る。
『知っておきたいホントに大事なお金の話』、『決算書分析 超入門』シリーズ等、著書多数。


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